神田金物通り
清洲橋通りが、靖国通りと交わる東神田交差点を越えて馬喰町方面に進むと、一橋高校のあたりで二股に分岐します。
清洲橋通りから分かれて分岐点を右手方向に進むと、大門通り・水天宮通り・昭和通り・中央通りと交差し、JR神田駅の高架にたどり着きますが、この区間(約900メートル)は『神田金物通り』とよばれています。
この通りはその名が示すように、かつては金物問屋が道の両側に多く集まり賑わっていましたが、その始まりは関東大震災(大正12年)以後のことのようです。
江戸時代から金属産業の拠点であった神田鍛冶町や鍋町が隣接し、新しい交通・運搬手段となった鉄道の神田駅が完成(大正18年)したこともあり、日本橋方面からも金物問屋が
移転してきたようで、一大集積地となりました。
昭和初期には東京金物同業組合事務所に金物の神様とされる「金山彦命」「金山姫命」の御分霊が奉齋されたようで、戦後の昭和29年には岩本町2-1-5に「金山神社」が創建されました。
神社では、毎年11月7・8日に神田明神より神主を招いて、秋季例大祭「ふいご祭」が行われています。
『神田金物通り』は、昭和63年1月26日、「千代田区道 通称選定委員会」において他57ヶ所と共に正式な名称となりました。
現在は数カ所に金属のプレートで名称が掲示されています。
(名称は平成になってからも選定があり、現在は72の「通り名」が登録されています。)
『神田金物通り』は岩本町一丁目町会の北側全域と接しており、岩本町二丁目との境となっています。